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狛江市少年野球連盟沿革

狛江市で少年学童野球大会が開催されたのは、市教育委員会体育課に残る資料によれば昭和46年(1971)からである。
当時は現在のようなクラブチームよりも、各学校のクラス単位や地区周辺の子供たちを集めたチームの出場が多く、大会が開かれるとチームができ、試合が終わると解散するという状況が見られた。
大会の運営については、市防犯協会を核として軟式野球連盟や早朝野球連盟の共同主催、市教育委員会の協力で市民グランド、多摩川河川敷グランドで実施されていた。
昭和50年(1975)に社会教育の一環として、青少年の健全な育成、スポーツの振興を願って、大会の主催権が教育委員会に移管され、同年8月に「狛江市少年野球大会」と名称を改め、Ⅰ部(5・6年生)は軟式野球で43チーム、Ⅱ部(3・4年生)はソフトボールで28チームの参加を得て、第1回大会が開催された。
この大会を機会に、参加したチームの中から少年野球団体の結成の機運高まってきた。

『狛江市少年野球連盟』の今日に至る歴史を眺めてみよう。

 昭和51年(1976)

9月 狛江市少年野球愛好会(狛江市少年野球連盟の全身)を結成する。初代会長栗山啓二氏を選出する。次年度より春季大会と秋季大会の開催を決定する。

 

昭和52年(1979)   

4月 第1回大会を開催する。参加Ⅰ部21チーム)(和泉クラブ、狛江ジョーズ、ストリングハリケーン、ブラックデビルス、ホームライイオンズ他)、Ⅱ部9チーム(狛江ヤンチャーズクラブ、サンノヘファミリーズ、ファッラクメッツ他)

8月 第1回東京都市町村対抗少年軟式野球大会が開催される。狛江市少年野球大会(教育委員会主催)第7回大会に参加する。

10月 第2回大会を開催する。参加Ⅰ部26チーム(ガッツナイン、キングドラゴンズ他)Ⅱ部20チーム(ジャガーズ、セブンファイターズ他)

 

昭和53年(1978)   

4月 第3回大会を開催する。参加Ⅰ部26チーム、Ⅱ部13チーム(モンキーズ他)

8月  第1回東京都学童少年軟式野球大会が開催される。狛江市少年野球外界第8回大会に参加する。

10月 第4回大会を開催する。参加Ⅰ部25チーム(多摩川住宅少年野球部)、Ⅱ部22チーム。

 昭和54年(1979)  

4月  第5回大会を開催する。参加Ⅰ部27チーム(ベストナインズ他)、Ⅱ部16チーム。

8月  第1回くりくりセンバツ少年野球大会が開催される。狛江市少年野球大会第9回大会に参加する。(この大会からⅡ部もソフトボールから軟式野球に変更される。)

 10月 第6回大会を開催する。参加Ⅰ部30チーム。Ⅱ部24チーム。この大会から狛江ロータリークラブより寄贈され優勝旗授与の表彰が行われる。

 

 昭和55年(1980)   

4月 第7回大会を開催する。参加Ⅰ部25チーム、Ⅱ部17チーム(狛江ビクトリーズ他)

8月  狛江市少年野球大会第10回大会に参加する。

9月 第8回大会を開催する。参加Ⅰ部23チーム、Ⅱ部26チーム。

 

昭和56年(1981)     

4月  第9回大会を開催する。参加Ⅰ部27チーム、Ⅱ部18チーム。
全日本学童軟式野球大会予選会(東京都大会)の出場権を兼ねた第13回北多摩少年軟式野球大会で、狛江市代表サンノヘファミリーズが優勝し東京都大会に出場する。

5月 第1回全日本学童軟式野球大会が開催される。 

8月 第3回くりくりセンバツ少年野球大会(毎日新聞主催)に狛江代表を初めて派遣する(サンノヘファミリーが出場する)。狛江市少年野球大会第11回大会に参加する。

9月  第10回大会(狛江市少年野球愛好会創立5周年記念大会)を開催する。参加Ⅰ部28チーム、Ⅱ部26チーム(ブラックスリー他)。
狛江市少年野球愛好会総理5周年事業として、功労者の表彰および後援・協力者に対する感謝状の授与が行われた。

11月 第1回狛江・調布親善大会が開催される。

 

昭和57年(1982)       

3月  狛江市少年野球愛好会を「狛江市少年野球連盟」と改称する。

4月  第11回大会を開催する。参加Ⅰ部28チーム、Ⅱ部18チーム。

6月  狛江市少年野球大会第12回大会に参加する。

8月 第4回くりくりセンバツ少年野球大会にサンノヘファミリーズが出場する。
第6回東京都市町村対抗少年野球大会に狛江代表を初めて派遣する。(和泉クラブが出場する。)
第1回読売旗争奪少年野球多摩大会が開催される。

9月第12回大会を開催する。参加Ⅰ部32チーム、Ⅱ部23チーム。

12月 この年和泉クラブがチームを解散する。

 

昭和58年(1983)      

4月 第13回大会を開催する。参加Ⅰ部25チーム、Ⅱ部23チーム。

6月 狛江市少年野球大会第13回大会に参加する(この大会以降、出場チームは狛江少年野球連盟に加盟するチームだけとなる。)

8月 第5回くりくりセンバツ少年野球大会にブラックメッツが出場する。
第7回東京都市町村対抗少年軟式野球大会にキングドラゴンズが出場する。

9月 第14回大会を開催する。参加Ⅰ部24チーム、Ⅱ部21チーム。

11月  第1回狛江一周わんぱく駅伝(狛江市青年会議所主催)に参加する。

 

昭和59年(1984)     

3月この年から連盟主催の大会を年1回(春季大会)とすること、および秋季大会と狛江市少年野球大会を合同
(教育委員会主催、狛江市少年野球連盟協力)させることを総会で決定する。

5月 第15回大会を開催する。参加Ⅰ部24チーム、Ⅱ部21チーム。(ホーマーズ、ホワイトベアーズ、みずほスタ ーズ他)

8月第6回くりくりセンバツ少年野球大会にサンノヘファミリーズが出場する。
東京都市町村軟式野球協会が改組される。旧市町村大会も新たに第1回東京都市町村対抗少年軟式野 球大会としてスタートし、同大会に狛江代表を派遣する(セブンファイターズが出場する)。

9月 狛江市少年野球大会第14回大会に参加する。

12月この年、キングドラゴンズがチームを解散する。

 

昭和60年(1985)   

4月  第16回大会を開催する。参加Ⅰ部22チーム、Ⅱ部16チーム。

8月第7回くりくりセンバツ少年野球大会にサンノヘファミリーズが出場する。
第2回東京都市町村対抗少年軟式野球大会にストロングハリケーンが出場する。

9月 狛江市少年野球大会第15回大会に参加する。

12月 第2代会長浜本玄房氏を総会で選出する。 この年、ブラックデビルスがチームを解散する。

 

昭和61年(1986)      

4月第17回大会を開催する。参加Ⅰ部25チーム、Ⅱ部12チーム。

5月日本善行会より青少年善行者として連盟が表彰される。

6月 狛江市少年野球連盟創立10周年記念大会を開催する。参加Ⅰ部24チーム、Ⅱ部16チーム。

7月狛江市少年野球連盟創立10周年記念式典を挙行する。
狛江市少年野球連盟創立10周年記念誌「翔け」を発行する。

8月第8回くりくりセンバツ少年野球大会にサンノへファミリーズが出場する。
第5回読売旗争奪少年野球多摩大会(読売新聞社主催)に狛江代表が初めて参加する(4チームが出場) 
第3回東京都市町村対抗少年野球大会を欠場する。

12月 この年ブラックメッツがチーム解散する。

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